出会いが見つかったと言う人
出会いが見つかった!運命の人に出会えました!と言う人を探しています、もしも完璧に理想と一致する『俺の嫁』と出会える事ができた方が居ましたら是非ともご一報ください、コレといって別段何もしやしませんが『祝ってやる』よ☆(ゝω・)v
なんて言った所で実際に理想的な異性とめぐりあえた人類がいまだかつて居ただろうか?今でこそホーリーシンボルとしてちょいちょい役割のあるかの有名な詐欺師『ガリラヤの湖上を渡りて天を仰ぎし者』でさえもたった数枚の銀貨で売られるこの世界でいいたいどんな人間ならば自分の理想に完璧一致した可愛い『俺の嫁』を作る事ができるのだろうか?
完璧な出会いと俺の嫁
結局、このどこまで行ってもリアルな現実では自分自身の理想に一番適した『俺の嫁』は現実には存在しないのだから、最終的な選択肢は自分自身を『理想の嫁』に合わせるか、もしくは理想の嫁の追求を別のカタチにシフトボディさせるしかない訳でその結果が現在の若年層の二極化であると言えるかもしれないが実際にはそんな単純でも小難しい事でもなんでもなくて、ただ単に『恋愛しているのが普通、恋愛していないヤツは普通じゃない』と言う昭和当時の状況と比べて現在では個人のできる事とやれる事が増えただけであり、結局恋愛の優先度が個人によって画一化されていないと言うだけなのだ、そして一つ付け加えるがコレは決して出会いを発見する事のできない体の良い言い訳ではない。
出会いとはいったいなんだったのか
そうなると結局出会いとはなんだったのか?なんて話が出てくるがそもそもも何もあったもんではなく出会いとははじめからその程度の価値と意味しかないのだ、ただ単に我々が勝手に後付で過度な期待と要求をしてしまっているだけにすぎない、結局出会いとは人と人がぶつかるだけの事象にすぎない、ソコにどんな意味と価値を見出すのかは出会いではなく我々自身が請け負うべき事なのだ、つまり要するに出会いがないと叫ぶようなヤツは本当に誰かとの関係性を強く望んでいる訳ではなく不幸な私ってかわいそうじゃん?誰か慰めるか同意してね☆(ゝω・)vって事だ。